Message代表メッセージ

2009.07.23

松阪港-中部国際空港アクセスの再生を松阪市と協定

両備ホールディングス 社長 
小嶋光信

7月17日松阪市山中市長と、他社の経営が困難になった松阪港ー中部国際空港間のアクセス航路事業の再生協定に調印した。
 
松阪航路との関わりは、航路開設前からであった。現在同航路の経営は、天草の江崎汽船の出資会社、松阪高速船(株)によって運航されている。この会社が事業を開始するとき、近隣航路である津エアポートライン(株)の社長を私が兼務しているので、日本旅客船協会の理事会のおりに、江崎会長から、松阪で空港アクセス航路を引き受けるとご挨拶があった。

旅客船の世界は狭いので、ライバルというよりは仲間意識の方が強い業種だ。ボランティアで三重県内の空港アクセス事業開設の調査・分析をした経験から、コンサルタントが作る需要予測は、実態より3~4割多いこと、経営になりにくい航路であることを江崎会長への厚意としてお話したが、きっと当時は同業者の防衛的発言と思われたのだろう。

もともと三重県から中部国際空港へのアクセス事業については、この開設を公約にされた当時の津市・近藤市長から、その事業開設のために旧運輸省から派遣された助役を通じて、なぜ伊勢湾周辺の地元大手業者に、航路開設をお願いしても社長は会ってもくれないのかと、お困りになって相談があった。その助役は岡山県にも出向されていて、両備のことを良くご存じで、藁をも掴む気持ちで来られたので、ボランティアで調査・分析の上、航路を造るための提案書を作成して差し上げたのが始まりだ。

調査の結果は、大手コンサルティング会社の需要推計が、実態より3~4割多いバラ色であったこと、当時三重県が計画していた四日市、津、松阪、伊勢、志摩の5航路がそれぞれ船舶を保有しての正常な航路事業は無理であることが分かった。それで、いわゆる公設民営で、

  1. 船、港湾施設、駐車場を行政が手当する
  2. 運航は100%出資の民間会社がベスト
  3. 5航路の内、津市の1航路であれば航路開設が出来る

ことを分析して差し上げた。

100%民間出資を提案したのは、3セクは経営責任が明確でなく、意志決定が遅く、事業経営には無理なスキームなので避けること、公設民営の基本は官と民の役割をはっきりとし、運営の補助金は出さないこと、また経営に官は口を挟まないことを示唆し、これが三重県での3原則の原点になった。

実は、津エアポートラインの経営スキームが、以後両備グループで再生されている和歌山電鉄や、中国バスのモデルケースになった。

それで当時の三重県知事と津市長の折衝で、三重県内1航路開設で話が付き、業者の公募が行われた。公募にあたって、公共交通は原則地域企業が行うべきという私の信念から、両備は応募しなかった。しかし、結果は海運事業に関係ない地元1社のみの応募で、各方面からどうせ提案書を作ったのだからその責任も含めて両備も応募するように懇請された。ボランティアでして差し上げた提案の責任とは何かなという疑問はあったが、当時の市長と助役の熱意とお人柄にほだされて応募した。結果、私どもが選ばれて平成17年2月、津エアポートラインが運航を開始した。

開設すると中部国際空港の開業人気と万博が重なって、一時的需要から大繁盛となり、その人気を勘違いして長期的展望のない四日市航路が開設された。この航路も海運事業経験の浅い会社の運営ですぐに倒産し、その影響は伊勢市にまで波及した。

松阪航路も、平成18年12月に開設をされ、当初年間3万人の採算ラインの利用客を目論んでいたが、実際は、目標の半分程度の利用客にしかならなかった。それで焦った行政などが、利用客増加の対策として、利用客も少ないのに航路数を増やさせ、さらに経営がピンチに陥った。そこに原油高騰が襲いかかり、禁じ手のはずの補助金が観光振興目的で投入されたが、経営は好転せず、100年に一度の世界大不況、高速道路定額料金1000円問題や新型インフルエンザが襲いかかり、今回の廃止への決意になったと思う。

今年の春になり、いよいよ経営継続が困難になり、松阪市に同社が窮状を話された頃から、江崎さんと松阪市の双方から、航路再生のお願いと、引き受けの打診があった。航路再生で私が示した要件は以下の如くだった。

  1. 行政からの航路再建の正式な要請があること
    県、松阪市から航路再建への要請があることと、三重県内伊勢湾における海上観光の振興への協力要請
  2. 円満な撤退であること
    松阪高速船は一般債権者へ迷惑かけずに内整理すること。県、市とも10年契約の求償をしないかわりに、松阪高速船も損害賠償の請求をしないこと。これで江崎さんの天草の家業まで連鎖倒産する懸念がなくなる。
  3. 引継ぎ条件は、
    あ)船舶・港湾施設・駐車場は市の設置、管理として無償で貸与とする。
    い)運航に係わる経営責任はすべて自己責任とし、一切運航に係わる補助を行政にもとめない。また運航に関する経営には県・市とも不介入とする。
    う)6年間航路維持の努力をする。
    え)松阪市の所有に係わる船舶は、修理、ドック時など両航路での融通を認めるとともに、伊勢市はじめ三重県内の港における観光振興に寄与する事業に供する事を認める。
    お)航路振興と観光振興に県・市は全面的に協力することとし、弊社もそれに応じて経営努力を傾注する。

という内容であった。松阪市の山中市長は、なかなかのハードネゴシエーターで、熱心のあまりお互いかなりの激論があったが、市長からの強い要望で、

  1. 5航海は維持する努力をすること
  2. 平成28年まで航路継続の努力をすること
  3. 船舶使用は松阪の定期航路維持をしている限り津エアポートラインの裁量に任せること

などで、大筋了解をしたため、この協定調印になった。

津エアポートラインの松阪航路としての経営再建の要旨は、

  1. 片道8便を5便に減便し、1便は津経由とし、津航路とのコラボレーションで津の増便メリットを計る。
  2. 運賃を1~2割引き上げる。
  3. 松阪航路は津エアポートラインの1営業所として、電話受け、空港での窓口の一体化による効率化を図り、管理の間接費を節減する。
  4. 予備船を津航路の検査時などの代替え船として利用することで、松阪港路は船舶保有費用の軽減を図り、津航路は予備船保有経費を免れるとともに検査休便がなくなり、空港アクセス事業としての利用者利便全体が高まり、一石二鳥となる。
  5. 予備船の使用で、両備グループの得意分野である伊勢湾での海上観光の振興を行政と一体になって図る。

ことで再生可能と判断した。引継ぎ当初はドック費用がかさみ、赤字予想だが、22年度には黒字転換させる予定だ。

勿論、津エアポートラインも原油高騰や経済不況に苦しんだが、独自の経営努力で開業以来黒字経営を継続している。

本来、新設航路として設備投資をして松阪航路を開設するならば、津に集約することが、ベストだろう。しかし、すでに港湾施設、船舶に公費を投じている以上、活用のベターを選択することが、必要になるし、松阪市民のみなさんの熱意に応えることが必要だ。

今回の協定に当たっては、津市の松田市長の陰に陽にのサポートが大きい。市長が広い心で、津航路にマイナスでなければ、三重県や松阪市の要望に協力して上げて欲しいという寛容な気持ちが、今回の協定の背景にある。

海運事業者のプロとして、6年前にボランティアで航路分析して差し上げたにも係わらず、四日市航路や松阪航路の破綻や、伊勢市での航路開設不味の問題となったことの原因は、

  1. コンサルティングの過大な需要予測を見破れなかったこと
    地域公共交通の実務を知っているコンサルは、ほとんど無く、経験のないコンサルの考えを鵜呑みにすることは危険だ。プロの経験に根ざした意見を求めることが重要だ。弊社が鉄道、バス、旅客船、タクシー、物流企業の再生の分析が出来るのは、その経験が多方面にあるからだ。通常大手さんには調査・企画の専門部門があるであろうが、地方公共交通の会社は企業規模から、その余力と人材力がない。多岐にわたる弊社でも、専門部門はないが、現場力のある人材力が豊富にあり、トップダウンのプロジェクトで調査・企画をする余力と再生の経験が少しあるということだ。
  2. 地域エゴが同一地域に重複公共投資を引き起こす
    どこも自分の地域が可愛いので、我田引水は一面仕方がないが、時代が変わった。これからは、競争と連携が必要で、地域間競争だけで無理しても、無い物ねだりをしてしまう地域行政上の問題は、断固として調整する技量が広域行政に求められる。また、各地は、地域の個性や特徴を活かすことで、隣にあるからうちも欲しいでなく、隣にあるなら投資せずに活用し、自分たちは近隣にないものに投資をし、広域の活用を図るべきだ。
  3. 業者選定の行政のコンペに、事業遂行の経験、能力、信用、企業力が査定されていないこと
    命を預かる公共交通を単なる費用対効果での、コスト競争だけで決めるのは危険だ。業種にはそれぞれ特徴があり、たとえば居酒屋さん等の公共交通に携わったことがない企業が、鉄道、バス、旅客船などを儲け第一ですることは危険だ。しっかりした経験に根ざした信用と、企業力と経営姿勢の判断が要る。
  4. 首長や知事との長期の口約束は危険?
    知事や首長は選挙で選ばれるために、変われば政策も変わる。しかし、公共交通は長期的展望が必要で、政争の具にせず、市民のためにしっかり引き継がれることが肝要だ。今回も三重県で1航路なら運航維持可能との当時の裁定が、知事が代わり、複数航路となり、多くの悲劇が生まれた。当時の約束がどういうことであったか、引継ぎはあったか、なかったか、現在分からないし、今更どうでも良いが、罪作りな結果となった。

今回の三重県における海上アクセス事業の顛末を、今後の公共交通の政策や再生に、行政や、民間事業者のみなさんが執務の教訓と参考にしてくれれば嬉しい。

津エアポートライン株式会社

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