「おかでん」と親しまれて100年、まちづくりと共にネクスト100年!

岡山電気軌道 社長
小嶋光信

1910年に創業し、1911年に路面電車の運行を開始した岡山電気軌道は、「おかでん」「岡電」と市民の皆さん、利用客の皆さんに親しまれて100年、振り返れば輝かしい、また苦難を乗り越えて逞しく生き抜いてきた100年でした。

岡電独自の苦難は次の二つです。

1. 岡山市の市内交通を預かる岡電と、いわゆる郊外バスとの全国稀にみる競合の歴史

全国のほとんどの地域では、戦時中の公共交通の統合によって一社かもしくは二社に整理されましたが、岡山では統合寸前に第2次世界大戦の敗戦となり、全国的に珍しい、稀にみる強豪4社中心による激しい競合が展開されました。このような状態から公共交通というものは岡山市民の多くは、多数の公共交通会社が競合するのは当たり前だと思っているでしょう。しかし現実は、よく「日本の常識は世界の非常識」と言われていますが、「岡山の常識は全国の非常識」になっているのです。例えば運賃では、全国の政令市や中核市の殆どで市内200円前後が多いのですが、岡山市や中国地域は異常に安い運賃なのです。その中でみんな必死に経営努力をしているという点では、これも全国稀にみる地域です。

競合や競争が決して悪いことではありません。経営努力で安くなった運賃も利用者にとっては有り難いことでしょうし、それに安全やサービスレベルが伴っていれば素晴らしいことです。しかし、交通はネットワークであり、一部の儲かる路線ばかりでの競合や、経営を危うくするような過当競争は結果として交通ネットワークの分断や消滅につながり、経営の悪化は賃金の低下につながって、将来的に良質な労働力の確保に苦しむ産業になり果ててしまいます。インフレ社会は無秩序な競争でも需要が増えて、多くは生き残っていくのですが、デフレ社会は競って争っていては共倒れになるので、競って創造する「競創」社会に変わらねばならないと気付かなければ、地域は結果として衰退するでしょう。

2.社内を二分し、心を一つに出来ない複雑な労使関係

実は、石津元社長が1960年に両備グループの松田壮三郎氏に経営を託したのは、まさにこの労使関係の苦しみの解決と経営再建の願いからだったのです。しかし、この労使関係の困難は現在まで続いています。

全国的に地域公共交通は、2002年の規制緩和で、崩れるように悪化した会社の経営で、一部の過激な組合がその変化に気づかずに2006,7年までストライキを頻発し、そのうちの多くの地域公共交通企業が倒れたり、自主再生したりしました。その当時の過激な労組のトップさえも会社の異変に気づき、「会社を本当に叩くと倒れてしまうので、倒れないように頭を押さえて軽く叩け」と比喩しているぐらいです。結果、全国的には自らの環境の変化と苦難の道を理解して、多くの過激な労働運動も存続し得なくなり、労使一体の関係に修復されていきました。

しかし、主に備前、備後地域の公共交通5社が最後まで労使関係に苦しみ、ストライキなどの不安で、お客様の信頼を得られず、お客様の足として機能し得なかったこと、安定したサービスの良い会社としての教育や訓練に力が入りきれなかったことは、その地域の一社であり広島県の東半分の地域公共交通を預かっていた旧中国バスの破綻と、同社の両備グループによる再建で明らかです。頻発するストライキで、ストライキをしない会社とくらべてお客様が30%前後少なくなってしまったのです。

過激な労働運動は、経営の悪化を招き、賞与や賃金が激減し、遂に倒れるときには退職金まで払ってもらえずに、多くを失う結果となってしまったのです。これは労働運動ではなく、公共交通と生活の破壊運動だったのです。正しい労働運動は、働く義務をしっかり果たした対価としての賃金や賞与の権利主張であり、労働条件の主張なのです。旧来の公共交通の補助金行政の思わざる副作用を、私の著書の『日本一のローカル線をつくる』で明らかにしていますが、規制緩和によって補助金行政も変わり、公共通は潰れないという神話は崩壊したことに気づかなかった労使が、一部に存在していたのです。

しかし、「順境は人を育てず、逆境は人を育てる」の例えの通り、多くの良識ある岡電社員、良識ある組合員、幹部の努力によって、むしろ他社には少ないであろう輝かしい歴史が生まれてきたのです。

このような厳しい労使関係でも、会社は倒れず、元気に勝ち残ってきたのは、タイムリーな経営の意思決定と真面目な現場の取り組みがあったからです。

1.路面電車存続の決断

その一つがマイカーに押されて、全国的に路面電車の線路が邪魔者扱いされて外されていき、バス化していった時代に、元社長の松田壮三郎氏の孤軍奮闘の努力で、東山線と清輝橋線の二路線が残され、バスと電車の二系統の市内交通が存続し得たことです。

ヨーロッパやアメリカに見られるように、地球温暖化と自動車社会による環境の悪化と都市環境の悪化で、自動車車両の市内中心部の乗り入れを制限して、路面電車と歩くことで「歩いて楽しいまちづくり」が行われていますが、まさに「おかでん」は先見の明であったのです。

次世代LRVとしての「MOMO」は、水戸岡デザインにより、2002年には日本鉄道賞第1号の栄誉に輝き、全国にLRVのセンセ-ションを巻き起こしました。そして昨年は岡山電気軌道の100周年記念事業として「MOMO2」が誕生しました。

岡山市では、公共交通の過当競争のために世論の一本化が難しく、電車とバス協調による「エコ公共交通大国構想」への動きは遅れていますが、MOMOの車両は富山ライトレ-ルにも採用され、LRTの時代の扉を開きました。

2. 中鉄バスと競創による競合問題解決と両備バスからの市内線譲受

中鉄バスは、規制緩和によって活路を南下政策と称する岡山市内の岡電との競合路線に参入し、激しい競争を展開しました。一時は社会問題になるほどの激しい競争で、お互いにダメージの多い、不毛な競争になりました。故藤田社長とのひざ詰めの話し合いで、2007年にほぼ競合する全路線において共同運行を実現し、50年近く続いた混乱に終止符を打つことが出来ました。

また競合する岡山市内線を担当する両備バス桑野営業所の営業譲受を2010年に行い、岡山市内は岡電、郊外を両備バスという仕分けをして、岡山市内の交通システムのネットワークを積極的に転換できるように、事業環境整備を実行しました。

そして、2010年にこれからの「まちづくり」として、如何にご利用しやすい市内交通体系にするかで、「エコ公共交通大国構想」を発表し、将来の日本の地方都市での在り方を示すことが出来ました。

3.イベントエコノミーによる集客ノウハウ

競合による生き残り努力から生まれたのが、如何に集客するかのアイデアです。風鈴電車、コンサート電車、ワイン電車やビア電車(ビアガー電)、クリスマス電車など多くのイベントが生まれ、岡山市の風物詩になっています。

運行100周年を記念して3000形「おしゃれ電車」のプレゼントの企画などは、際立ったアイデアです。

電車には不思議な魅力があり、全国的に愛好者が多く、岡山市では市民団体のラクダ(現NPO法人 公共の交通RACDA)が生まれ、全国化されていきました。市民団体の応援こそが地域公共交通の存続に力を与えるのです。

そしてこの路面電車の経営努力であるイベントエコノミーと電車デザインやローコストでの安全・安心な経営システムが、和歌山電鉄での再生のベースになったのです。

全国的に今後も地方都市では公共交通の存続には苦難の道が続くでしょうが、和歌山電鐵や中国バスの再生などで、やっと地域公共交通の存続への問題点が明らかになり、次代でも公共交通が地域においても存続出来るように「交通基本法」が生まれようとしています。

これからの公共交通は,まさに「まちづくり、地域づくりのツール」の一つとして、高齢化社会や環境問題のソリューションとして大いに見直されていくと思います。

岡電100周年のネクスト100年に花を添え、将来を示すように、今年インド国・プネ市の市内の交通渋滞緩和のためのLRT構想のアドバイスに参加する事になりました。まさに「エコ公共交通大国構想」がインドで、世界で開花するかもしれません。

岡電は、多くの困難を乗り切り、輝かしい100年を創ってきたように、これからの100年も逆境をバネに、岡山市のみならず、全国にそしてアジアに羽ばたいていきます!

岡電花電車

岡山電気軌道株式会社