夢二125年に想う ~二大コレクター展・好きで集めたら夢二の作品だった~

夢二郷土美術館 
館長 小嶋光信

夢二生誕120年で、初めて竹久夢二伊香保記念館と夢二郷土美術館と競演で、展覧会を催した。夢二の愛した二つの故郷から、夢二の全てを皆様に見ていただきたい一心で、今まで門外不出だった竹久夢二伊香保記念館の木暮館長を訪問し、初めての競演が実現した。

竹久夢二には、生まれ故郷である岡山と、こよなく愛した上毛三山の一つである榛名山が心の故郷であると思う。この二つの故郷から夢二を見ることが一番夢二の作品を理解できると思っている。

「花のお江戸じゃ夢二とよばれ、故郷(ふるさと)に帰ればへへののもへじかな」と夢二自身が戯れ歌に詠っているように、夢二は生誕地であり少年期まで過ごした郷土岡山を愛し、郷里に帰れば童心にかえったと思う。夢二の生家には、夢二が少年時代を過ごした部屋から、いきいきとして豊かな農村の風景が見られる。慕っていた姉が畦道を嫁ぐ後ろ姿を格子の窓越しに眺め、姉を思って柱に墨で書いた姉の名(松香)と夢二の本名(茂次郎)が、今ではほとんど見えなくなっているが、夢二の郷里への思いは今でもはっきり残っている。この豊かな農村の風情と、懐かしい母や黒髪の美しい姉への思いが、優しく憂いを秘めた夢二式美人の伏線になっていると思う。

夢二の評は沢山あるが、得てして興味本位の女性関係だけを評して、歪んだ夢二観になっていると思う。故郷岡山と、「榛名山賦」に代表されるように、この二つの故郷にある作品を知らずして、彼を語ることは出来ないと思う。

故郷岡山には、夢二コレクターであった松田基氏の所蔵の作品が、夢二郷土美術館と、生家に展示されている。
夢二は、若い頃は社会主義に傾倒し、風刺のコマ絵などを多く描いているが、「絵筆折りて、ゴルキーの手をとらんには、あまりにも細きわが腕かな」と詠っているように、マルキストというよりは、むしろ岡山人気質に共通するヒューマニストであったという松田氏の夢二観に、私も同感だ。豊かな岡山の風土から生まれた、やや反権力的で、だれの世話にもならないという気概が底辺にあるように思う。師をもたず画壇に属さず、生涯自由な作風を創り続けた彼の姿勢は、まさしく岡山人なのだ。

こよなく愛した第二の故郷である榛名山の麓にある竹久夢二伊香保記念館には、夢二のコレクターであった長田幹雄氏の所蔵されていた作品が展示されている。長田幹雄氏は元岩波書店の専務取締役をしていたというように、大の本好きで、東京の神田などで好きな装幀の本を中心に集めていた。結果それが夢二の作品が多かったという。

弊館は夢二の大物の作品を中心とし、伊香保はデッサンやデザインを中心とした収集で、両館合わせて夢二の全てが見える。彼は、心の詩を絵に描こうとした画家であり、詩人であり、デザイナーだ。これほど世界でも多彩な、いわばマルチアーティストはいない。彼は庶民の暮らしに芸術、美術を持ち込もうとした、生活クリエーターでもあった。夢二というと夢二式美人画だが、それは彼の作品のほんの一部分といえる。

昨年突然あのフランスのミシュランの日本版に、岡山の夢二郷土美術館が掲載され、「夢二は日本のロートレック」として紹介され、世界のミシュランに認められる光栄に浴した。

この栄誉と、今年の9月16日で生誕125年であり、誕生日を挟んで、今回も全国高島屋で125年記念展覧会を開くことにした。120年展覧会では、皆様に初めて二人のコレクターの集めた夢二の多彩な作品に触れていただき、素晴らしかった、もっと夢二を知りたいという驚きの声が多かった。その気持ちが風化しないうちに、5半世紀として、高島屋の鈴木社長にお願いして今回の展覧会の運びになった。

大正前期に描かれた「日本男児」の画賛には「日本男児は泣きませぬ 泣くのは涙ばかりです」とあり、また「日本に生まれてここにあり」と言い切った彼の言葉にも、難解な主義主張ではなく、たんに庶民感覚をもった心優しき日本人であった夢二を感じる。日本のロートレックと夢二をミシュランが評していただいたように、この日本が彼の最も愛した舞台であったと思う。国破れて山河ありというが、戦後60数年たった今、日本の伝統、文化がやや風化しはじめた現在を、二人のコレクターの夢二の作品や心の詩から見つめ直していただけたら幸いだ。

夢二郷土美術館