高橋大輔選手凱旋報告

岡山県スケート連盟
会長 小嶋光信

バンクーバーオリンピックで念願の日本男子で初めての銅メダルを取り、トリノの世界選手権でも日本男子初の金メダルを取った高橋大輔選手に、是非地元岡山県で、また倉敷市で祝勝会をしたいと連絡したら、忙しい合間を縫って、4月6日に帰ってきてくれることになった。

彼は本当に地元思いで、いつでも気さくに帰ってきてくれる。 岡山県ではあらたに岡山県栄誉賞を創ってくれ、表彰してくれることになり、倉敷市でも市民栄誉賞を授与したいと言うことで、地元でも彼の偉業を称える動きが活発になってきた。

岡山市と倉敷市でパレードと祝勝会をすることに決めて、各方面にお願いをすることにしたら、これが思った以上にスムースに行った。 大変なのは岡山市でのパレードの警備だが、岡山中央警察署が気持ちよく引き受けてくださり、オープンカーは私の友人の岡山トヨペットの末長社長が運転も一緒に引き受けてくれた。そして祝勝会は加計学園の加計理事長がこちらも快く引き受けて下さった。

倉敷市のパレードは、伊東市長中心に万全の体勢で臨むことが出来ることになった。 大輔選手を岡山県あげて温かく迎えて激励したいと思ったら、何と晴れの国岡山に相応しく20度以上の気温で本当に温かく、気候まで味方してくれて、ビックリした。それに会場の両備ホールディングス錦町オフィスには溢れんばかりの人の山で、市民のみなさんが本当に温かいエールを送ってくださった。岡山県民も本当に素晴らしいことなら燃えるということを実感した。こんな凄い歓迎は中国でも見たことがない。

高橋さんの育った倉敷市のパレードは、またそれ以上に地元の温かい人の波で、これだけ沢山の人がいたのかと思うくらいの熱烈歓迎だった。

彼は一昨年、選手生命を危うくする大怪我をしたが、それを乗り切って、二つの宝を手に入れたと言える。

第一は強い気持ちを手に入れたということだ。それまではガラスの心臓とも評されたが、それがすっかり消えて、強い選手になった。 もう一つは、柔らかそうに見えるが、実は身体が硬かったのだが、股関節が改善して、素晴らしかったステップに更に磨きがかかったことだ。換言すれば大怪我をしなければメダルは取れなかったかもしれない。 思えばあのあどけなかった少年が、素晴らしいメダリストに成長した姿を目の当たりにして、心から彼の努力と偉業を称えたい。 祝勝会では、岡山県スケート連盟から大輔選手に連盟栄誉賞としてミレーの種播く人の金メダルを差し上げた。併せて今日の大輔選手があるのは3人のお母さんのおかげということで、連盟功労賞の銀メダルを差し上げた。お一人は産みの親である大輔さんのお母さん(高橋清登さん)、もう一人は大輔選手を発掘し世に出した佐々木監督お母さん(佐々木美行岡山県スケート連盟理事)、そして彼をメダルに導いた長光のお母さん(長光歌子コーチ)だ。誰が欠けても、きっと彼の今日は無かったのではと思っている。本当に素晴らしい女性方だ。

連盟としては、彼が選手を終えて戻ってくる「所」を作って上げることが大事で、そのために旧倉敷サンピアの存続運動を行い加計学園が設備の取得をし、我々に運営を委ねてくれた。彼が指導者として戻ってきてくれることを願って、全ての条件が整えてある。

後は、彼が選手として更に一層の活躍をしていただき、将来フィギュアスケートの指導者として、この岡山県を、倉敷市を、アジアの選手養成のメッカにしてくれることを夢見ている。