夢二郷土美術館 館長
小嶋光信
昨年、第1回こども夢二新聞の募集と表彰式を催行しましたが、今年も第2回目の募集をしたところ大勢の皆さんに応募いただけました。特に夢二の生誕地である邑久町の邑久小学校では、学校をあげて取り組んで下さって、郷土愛を育てる、すばらしい取り組みと感謝しています。
当館初代館長の故・松田基さんは、美術館名を命名するにあたり、「夢二郷土美術館」と敢えて「郷土」の2文字を入れました。勿論、夢二が生まれ、その少年期を過ごし、生涯を通してこよなく愛した生まれ故郷・岡山にある美術館という意味もありますが、何より、郷土の人々に夢二を誇りに思って欲しいという願いも込めれられていたのだと思います。
夢二は岡山県東南部の豊かな千町平野に抱かれた邑久町で幼少期を過ごし、母の里にある椿の木の周りを姉妹や友人達と手をつないで「カモメカモメ~♪」と歌って遊んだり、村にやってきた獅子舞や旅芝居を楽しんだり、優しいお母さんと美しいお姉さんに可愛がられて育ちました。16歳で故郷を離れて後、僅か数回でしたが、岡山へ帰って、作品展を開いたり、郷里の皆さんとの交流を楽しんだりしていた夢二は、晩年度々、岡山の食べ物を懐かしみ、没する7ヶ月ほど前の日記には、「今ほしいのは、うまい、寿し、四月頃の鰆の西大寺のすしだ。」と記されており、心の中に深く岡山への望郷の念を抱いていました。
故郷での幼少期の楽しい思い出や、優しいお母さんとお姉さんへの思慕の念が夢二芸術の礎です。
心の詩を絵で表現することで花開いた夢二芸術は、絵や詩に留まらず、半襟や便箋、封筒や本の装幀等のデザイン分野や人形作り等々、マルチアーティストとしても、世界でも珍しい多彩さ振りです。庶民の日常生活に芸術をとの思いで創り出された夢二芸術を、是非、幼いころから慣れ親しみ、理解をしていただこうと、夢二郷土美術館では「こども夢二新聞」や「こども学芸員」の企画を始めましたが、子供さん方の出来映えには毎回、思わず拍手です。
夢二も生涯子供の心を持ち続けた芸術家でしたが、その素直な気持ちが現代の子供たちにもシッカリと理解され、伝わっているのには嬉しい驚きでした。
これからも夢二芸術にどんどん触れていただき、地元・岡山から是非、夢二を盛り上げていただきたいと思います。