日本初!ヨット型客船「SEFU」の船籍港を宇野港に決定!
― 50年前の夢の到着港、そして次の夢の出発港へ ―

両備グループ CEO
小嶋光信

このたび、両備グループの新事業として、日本初となる1万トン級ヨット型客船「SEFU(せふ)」の船籍港を玉野市・宇野港とさせていただくことになり、柴田玉野市長とご一緒に発表することができました。大変うれしく思っています。

実は私にとって、これは単なる「船籍港決定」のニュースではありません。「50年前の夢が、ようやく宇野港に入港した!」――そんな記念すべき出来事なのです。

ポンポン船から、1万トン級ヨット型客船へ!

両備グループの旅客船事業の歴史は古く、1928年、旧南備海運の時代にまでさかのぼります。100トンにも満たない木造の、いわゆる「ポンポン船」が瀬戸内海の水上バスとして活躍した時代から、もうすぐ100年。そのポンポン船から、ついに1万トン級のヨット型客船へ。ずいぶん大きくなったものです。

私自身は今から約50年前に岡山へ帰ってきて、瀬戸内海の航路事業を引き受けました。当時は大変でした。激しい競争、激しい運賃合戦。毎日、目の前の経営に必死でした。しかし、苦しいときほど夢だけは大きいほうがいい。そこで私は、二つの夢を持ちました。

ひとつは、「いつの日か、日本一周を楽しめる新しい形のクルーズをやってみたい」。
もうひとつは、「瀬戸内海を世界の観光地にしたい」。

今から考えると、よくそんな大きなことを言ったものです。

すると、世界のほうが瀬戸内海を見つけてくれた!

それから50年。仲間たちと一緒に、瀬戸内海の航路を守り、育ててきました。そして2010年に瀬戸内国際芸術祭が始まり、直島をはじめとする瀬戸内の島々には、世界中から多くのお客様が訪れるようになりました。

昔、私が「瀬戸内海を世界の観光地にしたい」と言うと、「小嶋さん、夢は大きいですね」と笑われたものです。ところが今では、こちらから世界へ売り込むだけではありません。世界のほうが瀬戸内海を見つけてくれる時代になったのです。瀬戸芸のお陰です。

それなら、「そろそろ50年前の、もうひとつの夢も実現しよう!」と、2017年にクルーズ船の建造を決意しました。その50年前の夢をきっかけに生まれた船が、「SEFU」です。

大きな豪華客船ではなく、ゆっくりゆったり旅をしたい

50年前から、海外へ行くたびにさまざまな豪華客船に乗って研究しました。最近の大型クルーズ船は本当にすごい。レストランもある、劇場もある、プールもある。さまざまなアトラクションがあり、何千人ものお客様を乗せて、まるで「ひとつの街」が海の上を移動しているようです。

もちろん、それも素晴らしい。しかし、乗れば乗るほど私は、「もっとゆったり、気ままに海を旅するクルーズがあってもいいのではないか」と思うようになりました。

日本には、小さいけれど素晴らしい港がたくさんあります。そこには歴史があり、文化があり、おいしいものがあり、そして何より、その土地で暮らす人々との出会いがあります。ところが、船が大きくなればなるほど、そうした魅力ある小さな港には入れなくなってしまいます。

そこでヨーロッパで注目されているヨット型客船をヒントに、「それなら発想を逆転して、大きな船が入れない港へ行ける船を造ろう!」と考えました。

日本で初めての挑戦。それが、「SEFU」です。

ヨット型客船は、大型豪華客船とは楽しみ方が少し違います。日本ではヨットというと帆のついた船を思い浮かべるでしょうが、帆の有無ではなく、プライベートに楽しむプレジャーボートのことで、英国王室の「HMYブリタニア」(全長126m、5,769トン)などが有名です。あたかも豪華なメガヨットのオーナーになったような気分で、ゆったりと海を旅する――それがヨット型客船です。

そのうえ「SEFU」は、船尾に海を身近に楽しめるマリーナ(日本初)も備えています。つまり、「豪華客船に乗せてもらう」のではなく、「気ままなヨットで世界を旅する」。そんな気分を楽しんでいただく、新しいクルーズへの挑戦なのです。

このタイプの船は日本ではまだ建造ノウハウが十分ではないため、実績のあるポルトガルの造船会社、ウエスト・シー社で建造を進めています。いよいよ来年後半には竣工する予定です。

50年前、「いつか日本一周を楽しめるクルーズをつくりたい」と夢見た青年も、船の完成を待っているうちに、ずいぶん白髪のベテランになりました。ですからSEFUには、あまりゆっくり造らず、早く日本へ来てもらいたいと思っています。

もちろん、クルーズ事業は立派な船を造れば成功するというものではありません。むしろ大切なのは、運航とサービスと経営という「中身」です。松田敏之CEO、新居COOを中心とするRヨットの素晴らしいスタッフが、SEFUならではの「ワクワク、ウキウキする船旅」を演出してくれるものと、大いに期待しています。

なぜ船籍港が「宇野港」なのか?

さて、そのSEFUの船籍港として選んだのが、ここ宇野港です。これには、三つのご縁があります。

第一は、玉野市との長いご縁です。両備グループは、両備バスをはじめ、長年にわたって玉野市の皆さまとお付き合いをさせていただいてきました。

第二は、世界のアートの島・直島への玄関口としての宇野港です。四国汽船も両備グループの仲間となり、宇野―直島―高松という、世界に誇れる瀬戸内海のルートを一緒に育てていくことになり、大きなグループシナジーが生まれています。

第三は、私自身の思い出です。子どもの頃、叔母が玉野市に住んでいたため、毎年夏になると玉野へ来て、この海で遊んでいました。ですから私にとって玉野の海は、仕事の場所になるずっと前から、懐かしい「第二のふるさとの海」なのです。

「UNO」は“1”。ならばナンバーワンの港に!

そして、もうひとつ気に入っている理由があります。

「UNO」は、スペイン語やイタリア語で「1」を意味します。世界へ出ていくSEFUの船籍港として、何とも縁起のいい名前ではありませんか。せっかくですから宇野港には、名前どおり「瀬戸内海のナンバーワンのクルーズ港」を目指していただきたいと思っています。

私は、宇野港を単に「SEFUの船籍が置いてある港」にするだけではもったいないと思っています。SEFUは季節に合わせて日本各地を巡り、将来は日本一周、そしてアジアへと航海を広げていきます。その中で宇野港を瀬戸内海クルーズの重要な拠点、できればSEFUの「母港」として、世界に開かれた港へ育てていきたいのです。

SEFUの船尾には、船籍港として堂々と「UNO」の文字が入ります。
日本中の港で、「UNOって、どこだ?」
将来、アジアの港に入れば、「UNOは、どこの港だ?」
そこで、「SETOUCHIにあるナンバーワンの港だ!」「世界的なアートの島・直島の玄関口だ!」――そんな会話が世界中で生まれたら、こんなに楽しいことはありません。

船だけでなく、「歩いて楽しい港町」をつくろう!

そしてSEFUの旅で本当に楽しんでいただきたいのは、船の中だけではありません。小さな港へ入り、船を降りて街を歩き、土地のおいしいものを食べ、歴史や文化に触れ、地元の皆さんと出会う。港町そのものを楽しむことが、SEFUのクルーズの大切な魅力です。だからこそ宇野港も、船を降りた瞬間からワクワクするような「歩いて楽しい港町」にしていきたいと思っています。

玉野市の皆さんと一緒に、SEFUが来るたびに街が楽しくなるようなまちづくりを進めたい。そして宇野港には、着岸したSEFUを眺めながら、乗船されるお客様や地域の皆さんがホッと一息つけるサロンがあれば素敵です。そこが人と人をつなぐ交流の場となり、宇野港の新しいポートセールスの拠点にもなるでしょう。

50年前の二つの夢が、ひとつの航路になった

人生というものは、なかなか面白いものです。50年前に抱いた二つの夢。「日本一周を楽しめる新しい形のクルーズをつくりたい」、「瀬戸内海を世界の観光地にしたい」。50年かかりましたが、ようやくこの二つの夢がひとつの航路につながろうとしています。夢というものは、少々到着が遅れることはあっても、諦めずに航海を続けていれば、ちゃんと目的の港に着くようです。

そして、夢は目的地に着いたら終わりではありません。そこから、また次の航海が始まります。これから玉野市の皆さまと一緒に、「宇野港から世界へ」、「瀬戸内海を世界の観光地へ」という新しい航海を始めたいと思います。

50年前の夢の到着港が、宇野港。
そして、次の夢の出発港も、宇野港です。

SEFUと宇野港、そしてお客様とともに始まる新しい航海を、ぜひ楽しみにしていてください。