両備グループ代表 兼CEO
小嶋光信
ハラハラ、ドキドキ、2020年のオリンピックの開催が未明に決まった9月8日日曜日に、第30回を記念するSSPup技能コンテストが備前自動車岡山教習所で行なわれました。オリンピック東京招致もさることながら、当日の天気も未明まで大雨が降っていて、さてこの雨は止むのか、それとも雨天順延か?とハラハラしての挙行でした。
お陰様でオリンピックもめでたく東京に決まり、お天気も丁度大会日和の曇りで、一日外で頑張っても熱中症の心配が無い好都合の天気となりました。
今年は、多くのお得意様が見学にお越しくださり、また両備トランスポート系では日頃ご厄介になっている協力業者の皆様にも競技に参加していただくなど、整然と熱気に満ちた大会でした。
このSSPupの大会を始めたのは、今から約40年前に旧両備運輸の常務として帰ってきて、当時のトラックや物流の現場を見て、ビックリしたことが遠因です。未舗装の構内に汚い管理事務所や休憩室、1年間に一人が必ず事故を起こすような安全意識と安全管理の欠如、粗野な態度でサービスを感じない劣悪なCSの状態でした。この状況を改善しようと、何度も何度も徹夜で労使交渉をして、やっと社員教育が出来るようになったことに端を発しています。
当時のトラックの職場は、夏ともなると上半身裸で休憩室にたむろして、賭博まがいのことをするなど風紀が乱れきっており、全く職場の規律も管理も出来ていませんでした。管理職も、話題と言えば野球やゴルフの話で、管理部門も現場も全く仕事に誇りを感じていませんでした。両備とは名ばかりで、吸収合併をする前の会社の状態そのままでした。
そんな当時の旧両備運輸にはもちろん教育するセクションも人材もいなかったので、最初は両備バスの教育に参加しました。トラックの乗務員もバスの制服制帽で、敬礼して受講していました。
バスの堅苦しい制服制帽を被らされたトラックの乗務員から、「何でバス乗務員の教育をするのか?」と当初は食って掛かられたりしましたが、「バスよりも安全なトラック会社になろう! そのためにはバスの運転も熟知しよう!」と話したことがついちょっと前のような気がします。当時、やっと新しいブルーの制服も誂えて、馬子にも衣装と教育で、運転も、態度もサービスもみるみるうちに良くなってきました。トラックの乗務員さんの「ほうき一本」の戦術も大いに効果を発揮して、中小の運送業者の下請けだった両備運輸も、一流のお客様が増え、東京・首都圏にも事業所を設置することが出来ました。
そして広範囲な事業所になった30年前、「これからは運転技術や、物流サービスを競い合い、誇りに思えるような運転やサービス、作業の技術運動会をしよう」ということで、安全(S)・サービス(S)・生産性(P)を向上させる運動の一環としてSSPup技能コンテストが開かれるようになりました。
昭和50年代まで、両備グループのタクシー各社はバラバラな車色とデザインで経営されていましたが、両備タクシーセンターを創り、ブルーとイエローのタクシーとして3社が統一したSSPup体制で管理されるようになりました。このタクシーの3社体制の完成も、この大会を両備運輸、岡山交通と岡山タクシーの3社で始めることが出来た要因によるものでした。
昭和50年代の終わりから、バス部門ではOJT教育をメインにするということで、両備バス教育室を閉めることになりました。そのために両備運輸の乗務員が教育を受けることが出来なくなり、これは大変なことになる、運輸の品質が確保できないということで、両備教育センターを創設して、私の担当する両備運輸と岡山交通と岡山タクシーの3社の専門教育を始めました。
バス部門が両備教育センターとSSPup技能コンテストに加わるようになったのは私が旧両備バスの社長になったその8年後の2007年からです。
教育とは重要なもので、劣悪だったトラック部門の安全の確保は、思いの通り「バスよりも安全なトラック会社」となり、バス部門をはるかに凌ぐ安全を確保することが出来るようになりました。
しかし、一方でOJTとして教育室を廃止して、現場に教育を委ねたバス部門は、安全水準の低下に陥って、今度は逆にトラック部門を追いかけることになりました。もちろん、両備のバス部門は現状でも全国水準から比べれば遥かに良い水準ですが、これは、トラック部門がそれを上回る素晴らしい安全の確保が出来ているため、その高いレベルで論じた場合の話です。
約7年前に再建を始めた中国バスは、岩木部長を中心に乗務員教育を理想に近い形で実施したことで、現在では私の知る限りで日本一の安全を確保しているバス会社と言え、両備バス、岡山電気軌道がそのキャッチアップに努力しているところです。
このように、バス、タクシー、トラックだけでなく、鉄軌道やフェリーとその事務部門まで入った実技と筆記による全国規模の大会は日本にはありませんし、世界でただ一つだと思います。
今年の大会は、「ハイヤー運転職の外国人接客応対競技」も加わり、国際化の一端を示すこともできました。
また場内では、「衝撃」「横転」「地震」の実体験コーナーがあり、私もたった時速7キロによるシートベルトの安全体験を受けてみましたが、7キロでも凄い衝突の衝撃があり、目の前にエアバッグがさく裂してビックリ仰天です。これが40キロ、50キロならどれくらいの衝撃かを思い知ることになりました。
30回を記念して催した、小学校以来となる玉入れ競技も楽しいものでした。
「だんだん良く鳴る法華の太鼓」と言いますが、「継続は力なり」で、日本一安全でサービスの良い運輸企業を目指し、忠恕の心で頑張ります!