両備グループ代表兼CEO
小嶋光信
オーキドホテルは、小豆島にシティホテルを、という当時の町長はじめ町民の声に応えて、この付近の塩田を持っていた香川さんが塩田を売ったお金を投じて、30数年前に自分が東京で定宿にしていたホテルオークラのゼネコンに建設を依頼して出来ました。
しかし、様々な制約で、西洋式の大きなお風呂のないホテルとなり、思ったような業績があがりませんでした。そのために三期にわたり改築を行い、結婚式場や和室の増設、和洋式の大宴会場、つづいて小豆島初めての温泉の試掘に成功して小豆島「塩の湯」の開設をしましたが、当時の円高による観光は海外へという流れに抗しきれず、その再建の手を両備グループに委ねられました。
そして別に再建を進めていたヘルシービーチとともに、小豆島の観光振興を図るために両備フェリーを主軸に頑張ってきました。
しかし、想像以上に小豆島の観光離れが激しく、正直苦戦しましたが、瀬戸内海の地物を中心にした食事をメインとした地道な経営で、お陰様でこの度リニューアルオープンする事が出来ました。これも一重に地域の皆様のご協力、お客様のご支援と社員の頑張りのおかげです。
今回のリニューアルは、小豆島や瀬戸内海のイメージや風情に沿ったギリシャやエーゲ海の雰囲気を醸し出すことに腐心いたしました。
それは、小豆島と牛窓や多島の美しい瀬戸内海東部を誰言うともなく「東洋のエーゲ海」「日本のエーゲ海」と言われていたことと、オリーブが日本で最初に小豆島に栽培されたものが牛窓にも広がったということが背景となり、先輩たちの開発にはエーゲ海やギリシャの雰囲気に沿ったものが多く、これに合わせていくことが最も相応しいデザインになると思ったからです。
オーキドホテルの元々の色の基調が白と茶系で、エーゲ海のギリシャの建物が白を基調に、屋根や窓枠がブルーかオリーブグリーンなので、茶系も活かしながら、オリーブグリーンと白色を基調にしました。
小豆島の表玄関の土庄港に相応しく、フェリーから見た港の姿に東洋のエーゲ海の島を感じていただきたかったのです。
もちろん内装も漆喰を思わせる白をベースにリニューアルしました。
私どものフェリーもこの東洋のエーゲ海の雰囲気にそってアポロンやポセイドンなど神々にちなんだテーマで作られています。
私が外観と内装の基本デザインをした「ニューオリンピア」、水戸岡鋭治さんデザインの「おりんぴあどりーむ」もエーゲ海やギリシャを意識して創りました。
昔、牛窓の新地元町長の依頼で、当時兄が外務省にいたこともあり、牛窓とギリシャのミッテリーニと、小豆島青年会議所の有志からの依頼で、小豆島とミロのビーナスが発見されたギリシャのミロス島との姉妹縁組みに協力しました。
そしてギリシャとの交流が始まると、ギリシャの方からびっくりするような瀬戸内海や小豆島の感想を聞くことが出来ました。それはエーゲ海より日本のエーゲ海の方が美しいという意見です。私はミコノス島やミロス島にも何度も足を運びましたが、エメラルドブルーの海と青やグリーンの窓や、ブルーのドームの真っ白な家の素晴らしい景色なので、正直オベンチャラと思いましたが、「海に浮かぶ島の緑や多島美はエーゲ海に勝る素晴らしさだ」という意見には正直目からウロコでした。従って瀬戸内海や小豆島は、世界に通用する観光資源であると分かりました。
今後の世界への観光資源としての東洋のエーゲ海を進める上で、瀬戸内国際芸術祭の存在は極めて大きく、地域の活性化で私と心を同じくする福武総一郎さんが、第2回として犬島などを取り上げるときに、そのアクセスの相談がありました。小さな島は宿泊施設や交通インフラが整っておらず、芸術祭が今後更に国際化、拡大化するためには、小豆島が一つのキーポイントになると話をしたら、小豆島を芸術祭に加えてくれました。芸術祭は世界の観光資源を目指す上で小豆島にとって極めて大事なイベントです。
『魔女の宅急便』などの映画の舞台にもなっており、今後注目度が高まると思います。
公共交通の再生を通じて進めた地域公共交通活性化法や交通政策基本法などの法整備化で、改善方策が見えてきたので、これからは地方の落ち込みが大きい地域の活性化にも努力したいと思っています。
小豆島や瀬戸内海を世界の観光資源に育てていく第一歩として、まず小豆島の表玄関にあるオーキドホテルを手始めに頑張りたいと思います。