中国旅客船協会から役員50年の感謝状!

(一社)中国旅客船協会

会長 小嶋光信

長い間、中国旅客船協会の会長を務めているので、毎年の総会で理事・役員の皆さんの永年勤続表彰をさせていただいていますが、何と今年、いつも差し上げる側の私が役員として50年を迎えての永年勤続表彰ということになりました。自分が表彰する側の代表で、自分に表彰状の授与とはなんとも独り舞台だなと思っていたら、事務局はじめ役員の皆さんが紙の表彰状ではなく、立派な感謝の意を込めた盾と、大きな花束を用意してくださいました。サプライズでの思いもよらぬ演出に、驚くとともに本当に嬉しかったです。

実は、私が岡山に帰って旧両備運輸(現両備ホールディングス)の再建をすることになったその主因は、旅客船とトラック部門の大赤字だったのです。

そのころ両備フェリーは、昔ながらの木造のポンポン船(いわゆる水上バス)による日生-宝伝-小豆島の小江-高松間と、鋼船による岡山港―土庄港間のフェリーをやっていました。水上バスは一航海3人くらいのお客様でありながら、各港の地元の人たちが廃止を受け入れてくれず大赤字、岡山―土庄航路には四国の貨物フェリー業者が両備の運賃の50%でダンピングして、定員13名未満の船に100名近くを乗せる暴挙により四苦八苦の状況でした。定員違反をご当局に陳情してもどうにもならず、さて、この航路の大赤字脱却をどうするか…と思案した結果、これは国に仲裁をお願いしなくては解決できないと思い、中国旅客船協会の防予汽船の長井社長(当時)に相談したところ、中国旅客船協会と四国旅客船協会の両協会の問題として解決しようと動いてくださって中国地区の仁田会長、四国地区の立花会長、長井さんと私で協議して、旧・運輸省海運局長も仲裁に入って2年がかりで協議して、貨物フェリー会社が定員違反で逮捕されたことを機に共同運航ということで仲裁がまとまり、今日の岡山―土庄航路として存続することができました。

私が岡山へ帰ったときは、瀬戸内海で最も貧しい航路の一つでしたが、今では両備グループの航路も、瀬戸内海では小豆島を中心に岡山―土庄航路と池田―高松航路を運航する国際両備フェリー(株)と、今春には直島を拠点とする四国汽船(株)が加わって、いまや一大アートイベントとなった瀬戸内国際芸術祭を支える大きな航路網となりました。現在、兵庫県の神戸や三重県の津にも航路を持つようになったのも、あの時の旅客船協会と先輩たちのお蔭だと思っています。

そのご恩返しの一念で、中国旅客船協会の会長を引き受けさせていただいていますが、まさに今、厳しい旅客船業界の立て直しの時期に来ていると思います。

地方鉄道の再生やバス会社の再建をしながら国の法整備にも携わらせていただいて、私が主張する補助金制度を活性化する「公設民営」制度が認められ、徐々に国で制度化されてきていますが、鉄道やバスだけでなく旅客船業界の一般航路にも認めていただけるように頑張って、瀬戸内海の離島航路や生活航路だけでなく世界の瀬戸内海として「観光航路」でも旅客船事業が栄えていくように、引き続き人材不足問題にも取り組み一所懸命に頑張りたいと思います。

現場の皆さん、関係各所の皆さんへ感謝しつつ、これからもご協力等々を宜しくお願いします!