日本再生と地方創生の7つの処方箋 -日本の経営、地方の経営がキーワード-

就実大学 特任教授
(一財)地域公共交通総合研究所 代表理事
小嶋光信

先日、就実大学110周年を記念したフォーラム「ビル・エモットと語る日本再生と地域創生~地方は日本再生の原動力たりうるか?」のパネリストとしてお招きいただいたこともご縁となり、伝統ある就実大学の特任教授の称号を頂戴した。その記念にパネルディスカッションの基調論旨を纏めることにした。

パネルディスカッションには日本経済を予言した『日はまた沈む』、『日はまた昇る』の著者・イギリスのジャーナリストのビル・エモットさんや元・ソニー会長兼CEOの出井さん、クロスカンパニー社長の石川さんが出席するエキサイティングなものだった。

私は両備グループの公共交通事業を通じて各種の地域公共交通を再生・実証してきたことと、それをベースにした(一財)地域公共交通総合研究所(以後、地交総研とする)での地方公共交通再生への活動を通じて、結局は地域公共交通も地域が元気にならなければ再生したとしても長期維持が難しいということから、極言すれば地域公共交通の再生も日本再生と地方創成の成否にかかっているということを中心にそれらの改善・改革について意見を述べた。私が40数年の事業を通じて、また岡山青年会議所や岡山経済同友会での活動による経験と、この10年来の地域公共交通の再建と法整備への努力の集大成として、この日本再生と地方創成の処方箋を示していきたい。

1. 中央集権から真の地方自治への変革が日本再生とともに地方創成の必須ベースである。

明治維新期の廃藩置県によって全国の約300藩が分割され、約7万余の市町村ができたが、明治22年の「明治の大合併」により約5分の1の15,859となった(総務省発表数字から引用)。近代的地方自治制度である「市制町村制」施行の目的は、町村合併標準提示(明治21年 6月13日 内務大臣訓令第352号)に基づいて、徴税、教育、土木、救済、戸籍等の事務処理に見合った規模と江戸時代から引き継がれた自治体としての町村単位との隔たりをなくすように、約300~500戸を標準規模として全国的に行われた町村合併であった。第二次世界大戦後は10,520となり何度かの合併の特例で平成26年4月現在、1,718となった。

それにしても、かつての300藩が現在は1,718の地方自治体である。藩制度時代の5.7倍だ。江戸時代よりこのように多数の自治体で果たして地方の経営ができるのかという大きな問題がある。

高速交通や通信の発達で江戸時代よりは遥かに便利な時代となりながら基礎自治体数が江戸時代の5.7倍というのは、時代の趨勢から言っても問題である。この規模の矮小化が地域の経営力を弱めているともいえる。

このような地域の分割による自治体の多さは、維新によって中央集権国家ができた時に由来する。日本は明治維新で薩長土肥のわずか4藩の軍に300藩を統括していた徳川幕府が敗れた。それ程に各藩の軍事力があったので、新政府は中央集権国家を維持するために地方での大きな力を恐れ、230分の1の数に分割した。その上で全国に県令を配置し、地方を中央政府の管轄下に置いた。基本的には二度と中央政府に刃向えない体制を創り上げたが、同時に地方は弱小化し力が弱まったと同時に自主性を失っていったといえる。中央集権国家そのものは、国家の発展のために明治期から第二次世界大戦の復興期間までは、人・物・金の国家資源を集中して国家の発展に寄与したことは大いに評価できるが、副作用としての地方の弱体化が進んでしまったといえる。

特に第二次世界大戦後は、連合軍として戦勝国のアメリカ主導の民主化が行われ、アメリカ並みの地方自治が名目上遂行された。日本の地方自治については、日本国憲法第8章に定められていて、その第92条「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」に基づき、「地方自治の本旨に基いて、地方公共団体の区分並びに地方公共団体の組織及び運営に関する事項の大綱を定め、併せて国と地方公共団体との間の基本的関係を確立することにより、地方公共団体における民主的にして能率的な行政の確保を図るとともに、地方公共団体の健全な発達を保障することを目的とする」(地方自治法第1条)とされているが、地方自治とは勿論、憲法における主権者たる国民による自治といえる。

その地方自治法第1条の二に、国と地方公共団体の役割分担が明確に示されている。即ち大まかに言って国は国の役割を果たし、地方は地方の役割を果たし、各自治体に共通して定めることが望ましいことは、全国的な視野に立って国がその役割を分担するということだ。地方分権、地方主権と論じているが、国と地方の役割がはっきり示されているので、その役割分担を厳密に、そして早急に実施するべきといえる。

敗戦により日本は民主化と地方自治への変更に大きく舵を切ったが、結局は戦前からの中央集権国家のままの形態に地方自治を取り入れたことによって、中途半端な地方自治となったのではないかと思われる。即ち、財政的に困窮すればするほど中央からの交付税や補助金によって維持されるという中央支配の仕組みをそのまま温存してしまった。

要するに廃藩置県で目指した地方が纏まった力を発揮できない体制、中央政府によって地方が管理される体制が維持され続けた結果、自主性が乏しく、財政的に隷属した国家と地方という関係を築いていってしまったのではないか。

基本的には福澤先生は「一身独立して一国が独立する」と言われたが、地方は財政的に独立するという自立性を失い、結果的に中央からの補助金や交付税行政に沿った運営をすることになり、自立性や自主性を失ったのではないかと推測される。

余談ごとだが、給与振り込みで全て奥様に財政を握られた男性が、財布の自立性を失い、輝きを失っていったことと類似していると思う。

財源がなく決定権がない組織に自立は生まれない。また今のような小集団化した自治体では規模的に一部の都市しか自立は難しく、ここは江戸時代の300藩として市町村の力を、昔の藩の如く現在の5倍の力を持ち、財政的に自立した組織に10年くらいの余裕期間をもって早く転換する、言い換えれば低開発国型の効率的な仕組みである中央集権国家から、先進国型の地方自治に切り替えねば、国家の再生も地方の創生もその基盤ができないであろう。また約300年続いた「藩」を基礎単位の大きさにすることで地方力が生まれ、その合併は歴史・文化や人同士の交流・つながり等があるので、比較的にやりやすいであろう。

数々の地方創生の試みが政府によってなされることは喜ばしいことだが、その老婆心とも思われる中央政府による地方創生の政策に求められるのは、これらの根本的体制の変革で、パッチワークの如き政策ではない。本来自らのことは自らが考えるように誘導せねば、新たなばら撒き行政になるのではないかと懸念している。単年度決算で行われることで、無理やり知恵を絞ったような施策で100数十年をかけて徐々に衰えていった地方が急速に改善するとは思われない。

総務省に「地方中枢拠点都市圏」構想がある。人口20万人以上の都市を拠点都市として周辺市町村と連携させる計画をしている。平成26年度に11か所のモデル事業をしている。一方国土交通省の構想は「高次地方都市連合」で、10万人以上の複数の都市を結んで新たに30万人規模の広域都市圏を創り、それを道路で結ぶ構想だ。縦割り行政の所以で、それぞれ似たような案が出ているが、心は一つで、このままでは人口減少と高齢化が進み、将来維持できなくなる地方が出てくるという危惧が前提にある。

この地方衰亡の問題は、地方だけでなく国家そのものの存亡の大問題であり、国として明解な一本の方針を示し、どのように地方を生き返らせるのかの根本的な方策と、事なかれで徐々に弱っていくのを待つような政策は望ましくない。

ここで、具体的な体制変換を示してみよう。

例えば岡山市の場合、瀬戸内市や備前市等の旧・備前岡山藩の地区を連合してグレーター備前岡山市(備前岡山総市)を形成し、区を作るのではなく市の独自性はそれぞれ温存しながらも共通項の効率化を図りながら地域経営を円滑にするというプランである。これを私は「グレーター都市構想」と名付けている。この方式なら地域住民の同意さえあれば、スムースに移行ができ、現在の政策のように弱い都市が更にこれから徐々に滅びていくのを待つ軟着陸型のように、地方が衰亡しきった段階で市町村合併を図るより、まだ各自治体が元気なうちに、よりスピーディーに、より健全に地方創成を進められるであろう。

今、地域公共交通で困っている自治体は等しくこのままでは維持できないという危機感が大変強くなっているので、早いうちに国家戦略として取組む決断が必要である。今後、「どんどん少子高齢化で地方が萎んでいく」ということと、「財源がなく、やりたいことができない」ということが地交総研での分析を依頼された自治体の首長の共通した悩みだ。能力云々より早く地域経営の枠組みを確立して、自立して生きていかなくてはならないという独立心が、地域の工夫が生まれる発動力となり、地方再生・創成の機運となるだろう。首長の皆さんが口をそろえて言うことは、「少ない交付税、補助金でも何も色を付けないようにして欲しい。何に使うかの工夫はこちらでする」だ。

参考:地方自治法第1条の二  
地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。
○2 国は、前項の規定の趣旨を達成するため、国においては国際社会における国家としての存立にかかわる事務、全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動若しくは地方自治に関する基本的な準則に関する事務又は全国的な規模で若しくは全国的な視点に立つて行わなければならない施策及び事業の実施その他の国が本来果たすべき役割を重点的に担い、住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねることを基本として、地方公共団体との間で適切に役割を分担するとともに、地方公共団体に関する制度の策定及び施策の実施に当たつて、地方公共団体の自主性及び自立性が十分に発揮されるようにしなければならない。

2. 税の一極集中から付加価値税化への転換と地方徴税が急務である。

地方自治を支えるのが地方への財源移譲による財政の立て直しだが、税の東京への一極集中を正さねば地方の自立は生まれない。中央集権の一番の問題は税収の一極集中であり、全国に展開している企業でも法人税等が本店所在地の東京の税収だけになるのは本来誤りであるといえる。工場や店舗の多くは地方で展開されており、付加価値は当然その土地の人が働いたところから生まれる。そうであるのに本店があるだけで税収が集中することはアンフェアである。付加価値税として付加価値の生まれたところに税収が落ちるようにすれば、多くの付加価値税収は地方に残り、地方は蘇るであろう。

東京23区に工場や田んぼ・畑・山はほとんどない。多くの漁場も、牧場も地方にある。地方の約1億人前後の人たちが働いて生まれた付加価値で、工場も田んぼ等もない東京は、本来管理部門というコストセンターが展開している地域にも関わらず繁栄を謳歌しているのではないか。管理部門が中心の東京の本店で付加価値が生まれるはずがない。徴税のシステムだけで東京に税収が集中し、如何にも地方が補助金や交付税に頼っている努力不足の地域であるかの如く演出しているが、これは実態と異なり、極めて誤解を生んでいるアンフェアな仕組みである。

勿論それでも税収が十分生まれない地域も生ずるが、それは付加価値衡平税等で調整するか、地域の連合で自立できるように合併を促していかなくてはならない。自分たちが本気で税収をあげ、地域の経営をしようとするところに地域を支える産業等が生まれることは、津田永忠や上杉鷹山公の試みのように歴史が証明している。

昨今、政府・与党が企業の本社機能の地方移転を図るために優遇策を検討中(東京・大阪・名古屋を除く)だが、効果的な政策として評価できる。しかし、これではなかなか地方への移転も進みにくいし、基本的に付加価値の生まれた地域に税収がもたらされることが根本的な治療になると考える。

3. 財政の均衡を1988年~19992年までの時代、即ち「リターントゥー・昭和シックスティーズ」の財政黒字の時代に戻すべきだ。

これだけ財政赤字になった理由は、勿論経済の構造不況の長期化や社会福祉の費用の高まりもあるが、それ以上にバブル崩壊後の日本政治の混乱で、議席確保のための、時の与党の票取りのための大盤振る舞いが財政を悪化している。これらの時代に新たに発生している歳出を洗い直し、民主党時代のような事業仕分けでなく、国民の生活に直接必要な事業以外は思い切って止めるべきだ。財政黒字の昭和60年代以降の5年間で、国民は何の不満や問題なく生活していたといえる。民間ではゼロベースの改革をするが、何が無駄になっているかをしらみつぶしにするのではなく、何が国民のために必要か、本来、国家としてなすべきかをゼロベースから積み上げていったら、私の事業再生の経験では、経営は3割から4割の合理化ができる。

基本的に経済対策というものは、公平な競争を担保し、投資環境を整えることが大事で、特に医療や通信、福祉部門のような伸び行く市場の規制緩和は必要である。しかし交通運輸業界で2000年、2002年に行われたような施策、衰退する地域公共交通等のように供給が多く需要が少ない公共性の高い事業エリアでの規制緩和は、歴史が示すように過当競争からの更なる産業衰退を引き起こし、それによって人命が失われて、やっと規制強化や法整備をするのでは遅いのだ。

4. 高齢化が問題ではなく長寿化社会での幸せ感の構築が急務である。

国は「少子高齢化」問題を提起しているが、高齢化が本当に問題なのかしっかり検証すべきだ。実際に介護保険等で費用がかかっている高齢者は、前期高齢者と言われる65歳から74歳ではわずか5%しか受給していない。95%のこの世代は社会に迷惑をかけず介護保険の適用を受けず自立した国民だ。

後期高齢者と言われる75歳以上でも介護保険の受給者数は約20%であり、80%が介護保険の適用を受けず自立した国民だ。小学校の成績でも95点や80点なら立派な優等生であり、各世代の中で落第生の如く前期、後期高齢者と仕分けするのは如何なものか。何故多くのこの年代の国民が頑張って生きているのに、一つに括って問題視するのか。日本国憲法で保証された国民の平等を差別してはならないという規定からも高齢者を年齢だけで区分すること自体、やや法の精神に反するのではないか?

このフォーラムのパネリストの出井さんは後期高齢者で私は前期高齢者という有り難くないレッテルを貼られているが、共に健康に事業を営み、納税者として頑張っている。

これは国の老婆心から、将来高齢者が増え、介護保険の支給が国家の財政を圧迫するから、消費税等の財源確保をしなくてはならないとして国民をマインドコントロールしたプロパガンダではなかったか。

国家は日本国憲法の規定にあるように、国民が義務を果たしつつ安全・安心に幸せな人生を全うするようにするのが責務といえる。
秦の始皇帝以来、如何に長生きするか、長寿を求めてあらゆる努力をし、日本がその世界のトップクラスとなったことを喜び、誇りに思うのでなく、問題視したことは極めて遺憾なことといえる。一部の介護保険を適用される国民のことも大事だが、95%・80%の自立した国民が如何に幸せな生活を送れるようにするか、その施策こそが大事である。

元気に自立して生活できるように、食生活の改善や運動の奨励等、国民の健康思想の改革が急務だ。家庭教育や学校教育を至急見直し、健康こそが国民の幸せを担保し、国家も健全になるということを知らなくてはならない。

国民の健康思想が行き届き、国民の義務と理解すれば、医療費や介護保険の費用は飛躍的に改善する以上に、健康で自立し、他人に迷惑をかけない国民として幸せな人生を謳歌できる。「長寿社会」の実現こそが、国家の目標ではないか。今こそ「仁政」という言葉を国民も政治家も官僚も思い起こさなくてはならない。
みずほ情報総研は岡山市等6市で健幸ポイントのプロジェクトを立ち上げており、時宜を得た取り組みといえる。

例えば、還暦や古希などの長寿のお祝いがある。人生50歳以下の時代なら、長寿として祝えるが、人生男女とも80歳以上の寿命を達成した現代において、平均寿命の20年前に還暦、まだほとんどの国民が元気な70歳に「古く稀なる」と言われても、誰も嬉しくもなくピンと来ないのではないか? このお祝い金を出している地方自治体の首長が、毎年増え続けるお祝い金に音を上げて、この制度を止めたいと言っていた。

平均寿命の10年後、20年後がお祝いとすれば、「新還暦」は90歳になるし、「新古希」は100歳となる。
それまで寿命が伸びたら平均寿命の80歳を新還暦とし、90歳を新古希とすれば良い。これなら本人も家族を社会もこぞってお祝いをしたい気持ちになるが、だれも60歳に赤いチャンチャンコなど着せてもらいたくないだろう。少なくとも私はしなかったし、古希も生きていれば90歳の新古希でしてもらうつもりだ。

既に老人という概念が20~30年以上ズレてしまったにも関わらず、古い尺度で測っていることが問題で、少なくとも75歳あるいは新還暦までは「高壮年」で、80歳以上を長寿者とすれば日本は一気に若返り、世界の長寿国となるであろう。

国は如何に健康で社会の役に立ち納税者サイドに国民が居心地良くいられるようにするかを考えて社会システムを構築すれば、国の財政の出入りが賄え国民も国もハッピーとなる。これが国の経営だ。

私は両備グループで、平成7年に年功序列型から能力主義的安心雇用への切り替えを説き、いち早く65歳までの雇用に切り替え、既に一部専門職種は70歳まで働けるシステムに切り替えている。生涯賃金と生き甲斐においては、絶対に大企業に負けないと自負している。

「社員の幸せの方程式」を創り、「社員の幸せ=健康×能力×やる気」と規定し、健康アップには両備健康づくりセンターが、能力アップには両備教育センターが対応している。やる気にはサプライズプレゼントや労務管理と、業績が良ければ見える化で決算賞与・特別賞与の支給をしている。今年は情報系の1社が、好決算で社員一人当たり平均50万円を通常の賞与の上に支給された。

両備健康センターは、平成27年で10周年を迎え、8,500人中メタボリックな1,000人の社員が「両備健康塾」で頑張って健康回復に努め、改善している。
大事なことは、問題視するよりその問題の解決策であり、解決せずに悪化を放置し財源が足りないと次ぎから次へ増税を考えることが果たして正しいのかを良く考える必要がある。会社の経営から紐解けば、すぐ分かる解決策であり、国家も経営の観点が必要といえる。
大事なことは国民を健康に幸福に暮らせるように、いわゆるピンピンころりと言われる自立した人生を歩むように如何に政策努力するかだ。

参考:第3章 国民の権利及び義務
第10条   日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第11条   国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第12条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない

5. 東京や大都会集中の高学歴化が地方の若者がワンウェイ切符で流出、二度と地方へ戻らないという流れを変えるべきだ。

少子化が問題だと言うが、少子化以上に地方から若者が消えて行っている問題は、高学歴化による大都市へのワンウェイ切符の若者の地方からの流出といえる。その傾向が大都市から離れれば離れるほど顕著となっている。

高学歴化は日本全体としては喜ばしいことだが、若者の大都市への移住・偏在を産んでしまった。その上、高校・大学を卒業すると地方にはほとんど戻らず、大都市等で就職をして二度と戻ってこない。この若者の高学歴化によるワンウェイ切符現象は、地方自治体の財政へも大きな問題を与えている。

それは、
(1)小学校から中学校、高等学校と地方が教育コストを負担していながら、地元で就職しないので税収によるリターンがない。
(2)年老いた父母や祖父母を地元に置いたままで、税収がないのに福祉・介護の費用ばかり発生する。

即ち高学歴化で大学等のある大都市では、コストをあまりかけずに生産者たる若者を手に入れ、反面そのツケを回された地方自治体は費用が発生するばかり・・・。

これでは地域経営は成り立たない。この負担の不公平感を埋めるには、教育費や福祉・介護費用を負担した地方自治体に何らかの方法で、「ふるさと納税」を自動的に実現する方策が必要となるであろう。国民のマイナンバー制度ができるので、この不公平感をトレースすることで解決する一助になるだろう。

安倍政権では、地元就職なら奨学金を出す仕組みを「まち・ひと・しごと創生総合戦略」の目玉にする方針だ。これも地方の実情を勘案したプランと評価できるが、問題は、地元に就職すべき企業が少ない中山間地や目立った企業がない地方都市が多いことと、本来この負担は地元で教育を受けながら、他地域に就職する都市の住民税や所得税等が本来の原資であろう。

昔は基本的に地域で教育がある程度完結し、地元で就職し納税者となり、親の収入がなくなれば息子や娘が納税者となり、保育が必要なら祖父母が面倒を見て、介護が必要になれば家族で支えるという家庭や社会の仕組みがあったが、その仕組みが壊れてしまい、そのツケを国や社会に回せば地方の経営も国家の経営も成り立たない。どうしても「家族」というメカニズムの取り戻しを図ると共に、「家族」がケアできない場合は地方が立て替え分の納税として「ふるさと納税」の厳密化などの制度改革が必要だ。

6. 産業の付加価値型への転換が急務だ。

日本が大量生産・大量消費に偏り過ぎて、一万円以下の月収の低開発国と競争したために、賃金デフレを招いてしまったといえるのではないか。そのため正規社員から多様な労働と言えば聞こえは良いが、実質的には賃金のダウン現象といえる契約社員、派遣社員、パート社員等の身分も賃金も安定しない職種が増加・横行してしまった。勿論このような働き方を望む人もいるので、全てを否定するものではないが、結婚し家庭を持ち、子育てをするという生活での国民の再生産が極めて厳しくなり、これが少子化にも多分に影響していると思われる。

大量生産・大量消費で低開発国とのコスト競争をしていけば、いつまでも際限のないコスト競争をして、企業も国民も疲弊してしまう。その有り様は米国の姿を見れば分かる。結局はコスト競争に敗れて伝統産業や繊維産業、多くの地域産業が潰れ、海外への移転を余儀なくされた。多品種少量の価値のある伝統産業や得意技術に活力を求めるべきだ。日本の産業力や農業の素晴らしさは、高品質を前提に安全・安心な製品サービスの提供にある。世界の70億人の民に、大量生産・大量消費での低価格市場で競争をすれば、飽くなきコスト競争に巻き込まれ、液晶テレビで代表されるように、開発途上国や中進国に技術移転が進めば、短期間で日本から大量生産機械とその製造技術を獲得した韓国、中国などのようにコストの安い国に敗れてしまう。

スイスの金融大手クレディ・スイスがグローバル・ウェルス・レポートに純金融資産100万ドル以上を保有する世界の富裕層(※1)の人口順位を発表している。

参考:2012年の純金融資産100万ドル以上を持つ富裕層世帯に属する人数の上位20か国は以下の通りである。
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*グローバル・ウェルス・レポート 2012より

2014年6月18日にニューヨークで発表されたロイターの記事によれば、「 世界的な株高と景気回復を追い風に、世界の富裕層人口は2013年に約2百万人増加し、資産も14%増加した」という。

また、キャップジェミニとRBCウェルス・マネジメントが毎年共同で出しているワールド・ウェルス・リポートでの発表でも明らかにされている。
同リポートによると、「2013年に富裕層人口は15%伸びて1,370万人になり、資産合計額も52兆6,200億ドルに増加した。富裕層の拡大は2008年の世界金融危機以来5年連続」ということだ。

世界の人口は2014年12月12日16時現在で72億2,644万人とリアルタイムに発表されている。この人口の約10%が上位中産階級以上と思われ、少なくとも世界人口の内、7億人という所得の高い市場が日本の目指す市場と思われる。

※1:RBCウェルス・マネジメントの調査による富裕層の定義は100万ドル以上の投資可能資産を有する世帯としている。

時計産業を見てみよう。日本は世界一高性能のクオーツ時計を開発したが、大量生産をしてしまったために世界一の性能と品質の時計を1,000円台の商品にしてしまった。誰しも高性能の時計を持てるようにした世界への貢献は大きいが、結局はこの大量生産・大量消費のために豊作貧乏になっただけだった。それに引き替えスイスは、昔ながらの機械式の時計を価値あるブランドに仕上げ、高級な時計産業を創り上げた。

高級な時計産業や先進的な薬品や金融産業等に特化したスイスの平均月収は約46万円であり、日本の31万円の約1.5倍だ。
日本の産業の進む道はここにターゲットがあると思われる。どんな産業ではなく、どの所得層のマーケットでの世界シェアを取るかが、今後の日本人の生活を支えていくことになるといえるだろう。

「グッドデザイン」、「グッドクオリティー」がキーワードだ。
今、瀬戸内市と備前長船刀剣博物館と高島屋を結び付けて、長船の伝統産業の備前長船の刀鍛冶の技術で、世界最高の刃物製品のブランド化に取り組み始めた。ドイツにはゾーリンゲンという世界的なブランドの刃物産業がある。そのドイツ人が一番、日本刀が優れていることを理解して、日本刀を買っているという。

日本刀の鉄は「たたら製鉄」という技術で作られるが、高炉の鉄に比して玉鋼の生産量は少ないが極めて高品質といわれる。それに軟鉄と鋼鉄を合わせて鍛造する技術や蛤刃という日本刀独自の蛤のような刃先に研ぎ上げる技術等、世界一ともいえる技術を創り上げている。しかし、その技術の大部分が刀の世界でのみとなり、生活産業に移行しなかったために日本の伝統工芸として匠の世界での継承に終始していた。アートの刃物までにブランドを高められなかったために、刀鍛冶の伝統を残していくには、ここで新たな市場づくりが必要になる。岡山県瀬戸内市の伝統産業として如何にブランド化し、新たな世界市場へ向けた逸品を生産できるようにするかの取り組みを是非成功させたい。

日頃の暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に美を見出して活用する日本独自の活動でもある「用の美」は、芸術を日常生活へ取り入れることでもあり、自国の伝統文化を見直し、誇りを持つことが大事である。

7. 居心地の良い「円」の為替水準は1ドル100円~110円の範囲であろう。

日本は貿易立国であることに異論はないと思うが、現在の1ドル120円近くの水準は一部の輸出産業には有利だが、輸入産業には厳しく、国内物価、特に食料品や燃料の自給率の低い日本には生活費の高騰につながり、特に低所得者層には深刻な打撃を与える。

また輸出産業も部品等の輸入や、最終組み立てを海外に依存していることもあり、昔ほど円安が好景気に繋がらなくなった。特に中小企業は円高になればコスト削減を大手メーカーから迫られ、円安になれば工賃も上がらず、輸入部品代に苦しむ構造になってきているのではないかと思われる。

このように原油や食料品等の生活に直結する物資を輸入に依存している日本は、居心地の良い円の対ドル相場を如何に置くかが政策的に最も大事であり、円安を続ければ不景気のインフレ、すなわちスタグフレーションに堕ちる懸念があることを忘れてはならない。

以上、日本の再生も地方創生も表裏一体であり、日本経済の構造問題といえる問題を7つの処方箋で抜本的に改善し、安全・安心で豊かな地方こそが真の日本の姿といえる。地交総研のホームページに掲載した拙稿「地方創生と地域公共交通」も参考にしていただきたい。

今までの政策を見ると、単年度決算の積み上げのように、問題対処による国造りとなってしまっているが、中長期、少なくとも10年後、20年後のあるべき姿をしっかり示して国づくりをすべきであろう。
その目標に向かって粛々と改善することが政治であり、国家戦略だ。できるだけの「事なかれ」を排除し、パッチワークに陥らず、問題の本質を改善することこそが日本再生であり、地方の創生への近道である。日本を、地方を経営の観点から見直すことが大事な視点と言える。

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