『街は青春』~コマソン誕生の由来~

両備グループ 代表 
小嶋光信

みのもんたさんが司会で人気の「カミングアウトバラエティ!秘密のケンミンSHOW」(読売テレビ系列)という番組で、岡山県を代表するコマーシャルソングとして両備グループの『街は青春』が選ばれて、私にもインタビューがありました。

みなさんに親しまれている両備グループのコマーシャルソング『街は青春』が出来たのは昭和58(1983)年で、まだ私が38歳の時です。当時私は旧両備運輸の専務をしていました。そのころにすでに両備グループは多角経営で、先代の松田基さんがユニバーシティ企業と言われたように、企業群を形成していました。

両備グループには、バス、電車、タクシー、トラックやフェリーなどの運輸交通部門と両備システムズを中心とする情報部門と、ストアや住宅・不動産やエネルギー販売などの生活関連産業部門という3つのコアがあります。しかし、その頃のグループのイメージはバス会社であり、またそれがステータスでもありました。

しかし、これからのモータリゼーションを考えると、すでにバス事業中心というスタンスでは、企業の将来性を語ることは難しいと私もトップも感じていました。
コマーシャルソングも両備バスの「みんなみんな友達 両備バス」が親しまれていました。

それで、これからは両備バスからグループとして、グループ全体を社会に売り込んでいこうというので、グループコマーシャルを創ろうと思い立ったのでした。

当時電通(広告代理店)に東京から大手のコマーシャルを担当しているスタッフが転勤してこられていて、その方に、両備グループイメージに合う21世紀を感じさせる斬新なテレビコマーシャルを創りたいと依頼しました。大手に負けないものをと頼んだら、当時大手は一本のコマーシャルに1400万~1500万円かけており、それが予算だと言われ、地方企業の私たちにはビックリするような値段だったことを覚えています。

コマーシャルを企画するスタッフが東京から来られて、グループ企業の視察をされ、どういう企業イメージを創りたいかのヒアリングが何度もありました。
私は、両備はバスという地域の方々の生活の足を担っている企業で、それを更に発展させて、地域の暮らし・生活に欠くことのできない企業群になる夢を話しました。
テーマは『まちづくり』と決めていました。
というのは、当時社業の傍ら岡山青年会議所で地域貢献活動をしていましたが、私が得意としていたジャンルが『都市(まち)づくり』だったのです。これからの地方はまちづくりに成功したところが生き残り、失敗したところが衰えていくと感じていました。

明るく、楽しいまちづくり、キラキラ輝くまちづくりをテーマに、陸に・海に・空に、まちづくりに貢献する企業イメージでお願いしました。
そして花盛りのまちづくりを提案して「街は青春 花ざかり 両備グループ」となるのです。岡山市錦町の旧両備バス本社が花のポットで飾られているのも、この提案が頭にあったからです。

作詞をして下さったのは伊東アキラさんという、コマソンのヒットメーカーで、「この木何の木、気になる木…」という日立グループのコマソンは知らない方はいないでしょう。
コマーシャルフィルムも、当時コンピューターグラフィックスが普及していなかったので、サイコロの各面にグループ企業イメージがクルクル回るスタイルは斬新で、情報系などの先端産業が生まれてくる可能性を示唆する出来映えでした。もっとも夢が膨らんで、手直しや注文が増えるととともに、コストも上がっていったことを覚えています。

25年もたったコマソンが全国番組で取り上げられ、岡山の代表するコマソンだと言っていただいて、凄く嬉しかったと同時に、25年たっても今でも新しいと取材の方が言って下さったことが誇りです。
それと同時に25年前に語った夢が、一歩一歩実現していることが、このコマソンで確認出来ることがなおさら嬉しいのです。

両備グループ