両備バスカンパニーの誕生

両備ホールディングス 社長 
小嶋光信

この7月1日に両備ホールディングス(株)の両備シビルバスカンパニーと両備観光カンパニーが企業内合併して、両備バスカンパニーが誕生しました。昔の名前で出ていますで、なんで再び社内カンパニーが合併したのか、そもそもカンパニーを分割しなくても良かったのではと色々な疑問があると思います。

2000年に観光バス部門、2002年に路線バス部門とバス事業の規制緩和が実施され、特に観光バスは新規参入が相次ぎ、日本中の観光バス事業者は大幅に業績が悪化しました。既存の観光バス事業者の多くは別会社にしたり、売却したり、廃業したりと蜂の巣をつついたように雲散霧消しました。一方、トラック会社やタクシー会社からの参入が続き、需要以上の供給過剰で、収入ダウンに伴うコスト構造の変革が起こりました。観光バスや路線バスなどの賃金が、何割も、場合によっては5割もダウンして、年収400万円が相場になってしまいました。

当然弊社も改革改善について、業界の方向である観光を別会社にするか否か、労使で真剣に議論しました。一番近道は別会社でしょうが、同じ会社の中で働きたいという社員の気持ちを尊重して、敢えて別会社にせずに、社内カンパニー制で臨みました。

観光バス業界では、会社がバラバラに分解したために、一時は160台程度の両備バスの観光カンパニーが、日本一大きな観光バス会社になるなど、大きな山が崩れて下から小山が現れる地殻変動が起きたようでした。

供給過剰な業界に規制緩和すれば、業界破壊となり、賃金、労働条件は悪化するのは当たり前で、この政治と行政のミスリードのために、最優先されるべきである安全が脅かされ、加えてツアーバスのような、路線類似行為の法違反が生まれ、混乱に拍車をかけるなどの弊害も出ました。料金が安くなるのは消費者に有利に作用するなど、一面規制緩和の効果のように受け取られていますが、命と引き替えでは困ります。観光バス業界のみならず、過当競争による安売りで、全国の観光旅館やホテルまでが存続を危うくされる事態が生まれ、結局国内観光の大きな質的低下となった懸念があります。夢を売るべき観光商売が悪夢を生んでしまったのです。もちろん規制緩和だけが原因ではありませんが、拍車をかけたことだけは事実です。

規制緩和は、需要が旺盛なのに、供給が規制されている場合には有効に作用しますが、もともと長年構造不況業種であった交通運輸業界にとっては、業界破壊に拍車がかかってしまったのです。そのうち交通運輸業界には若者が入らず、年金併用の高齢者雇用に頼らざるを得ないようになって、その高齢者の方々も忌避して労務倒産や、路線運行が確保出来ない事態が懸念される有様です。

そして、タクシーのように賃金が下がったから、運賃を上げるというような、需要をさらに減少させるミスリードまで生まれています。そのような状況下、燃料高騰での運賃値上げさえ、需要の低下を引き起こし、結果はお客様が減っただけの状態です。供給を需要に合わせて調整しなければ、市況の回復が出来ないのは経済の簡単な原理です。自由競争原理主義者(これは私の造語です)の一部の知識人は、需要旺盛な東京や人工密集地のみをみて日本と勘違いしたのか、日本の地方を破壊してしまったのではないでしょうか。

弊社でもご多分にもれず、改善・改革にいっそう力を入れることとなり、社員に多くの苦労をかけました。別会社にしなかったために、現場の賃金に合わせて、そう高くもなかった営業や管理部門、幹部社員の賃金も下がって、モラルダウンした一面もありましたが、路線・観光両部門とも必死に、泥沼で頑張ってくれました。

供給過剰を直さなければ、価格破壊は治らないので、ピークの半分くらいの観光バスの合理化減車をして、業界建て直しのために敢えて身を切る対策を実行しました。

苦節6年、やっと路線と観光の建て直しの姿がみえ、逆に路線バスと観光バスの複合化による効率化が計れる体制が出来たので、この度合併することにし、この日のために取っておいた両備バスのブランドをカンパニー名に再び冠しました。

合併による管理部門の合理化と、運行部門の効率化で約1億円程度のメリットが出ます。また、運行部門の所長は現場を知り抜いた運行主任経験者を中心に抜擢することで、より現場に密着した管理をすること、勤務付け、配車をコントロールセンターで一元管理することなどで、コンパクトで効率的な管理体制を目指します。

燃料高騰を吸収するうえでも、今回の選択と集中は大事です。再び両備バスの栄光を新体制で取り戻します。

両備ホールディングス